院長紹介・ご挨拶

院長 / 庭瀬 亜香

院長 / 庭瀬 亜香

心療内科医・精神科医

所属学会

日本精神神経学会
日本心療内科学会
日本心身医学学会
日本内科学会

 

院長略歴

1997年に東京大学法学部卒後、某日本企業の初の女性総合職を経て、2000年にフルブライト奨学生としてアメリカのジョージタウン大学ロースクールの修士課程に留学。 2001年卒業後、ILO(国際労働機関)東京支局にてリサーチャーとなるが、2002年に開業医であった父が自ら胃がんを発見し三週間で亡くなる過程で医師になる決意をし、2003年、群馬大学医学部に学士編入学。 2007年より千葉県立病院群にて初期研修医、2009年内科レジデントの後、ことばによる治療をしたいと2010年に国立国際医療研究センター国府台病院心療内科レジデントとなるが、2011年の東日本大震災後、こどもの健康を考えて関東から福岡に移住。福間病院精神科に勤務後、2015年11月に福岡市の姪浜駅ビルにて心療内科あこアロマガーデンクリニックを開業。

 

~言葉を大切に、全人的なこころの医療を目指して~

【心を診る医師に】

なぜ私が言葉を用いて心を診る医師になりたいと思ったのか、 それを今更ながら自問自答してみると、幼いころから言葉が大好きだったこと、 人間という存在と心に興味があったこと、そして、 開業医であった父の影響で医師という人間の生死と健康に携わる仕事に興味があったことがとても 大きかったことに改めて気付かされます。

【言葉が大好き】

私は1歳前から本が大好きで、字を読めないときは母にせがんでは毎晩寝るまで絵本を読んでもらい、自分で読めるようになってからは家にある本を手当たり次第に読むようになりました。
小学校に入るときに父が開業したため、横浜から千葉に引っ越し、幼馴染と別れ、住む場所も変わるという、6歳のこどもにとっては劇的な環境の変化にとても戸惑ったのですが、その中で、私は本を読むことでとても救われました。
本の言葉は私をおとぎの国やまだ行ったことのない外国に自由に連れていってくれ、私は幼いながらに言葉の持つ力を感じていました。
小学校の図書室の本は3年生ごろまでには殆ど読みつくし、近所の児童図書館の本も小学校卒業までには殆ど読みつくすほどでした。

【学者から芸術家まで様々な人と触れ合った子ども時代】

開業してから父は、単に医療だけでなく、老人医療を核に「老稚園」など地域の社会文化活動もかなり行っていました。
自宅兼クリニックには、著名な文化人や学者から、会社員、近所の学生や主婦や老人まで様々な人が自由に出入りしていました。
様々な年代や職業の人達と自然に交わる中で、どうしてこんなに色々な人がいて、違うことを考えているのか、と人間に対する興味関心が芽生え、中学生頃から心理学や社会学の本を読み漁るようになりました。
父の従兄弟である詩人の谷川俊太郎氏も、よく父の活動に来ており、言葉を非常に大切にする人たちの会話を身近に聴くことで、言葉と思考、人間という存在についても子どもながら色々と考えるようになりました。

【日本とアメリカで社会法制度について学んだ学生時代】

父とその活動から非常に影響を受けた一方で、かなりパワフルな父に思春期は相当反発し、高校時代は絶対に医者にはなるまいとまで思い、社会経済問題に興味があったので、大学は東大法学部に進みました。
卒業後は、留学経験のある母の影響もあり、国際的に活躍したいと思い、某日本企業の初の女性総合職として国際ビジネスに関わりました。しかし、徐々にもっとパブリックな仕事がしたいという思いが強くなり、フルブライト奨学金を得て、アメリカの首都ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学のロースクール修士課程に留学しました。
そこで、アメリカ人だけでなく、世界60か国以上から集まった留学生と交流し、更に多様な文化・社会と人間に対する理解を深めました。
卒業後は、帰国し、ILO(国際労働機関)東京支局でリサーチャーとなりました。

【反発していた父の突然の死】

念願の国際機関勤務で徐々に理想と現実のギャップに疑問を感じるようになったちょうどその頃、2002年にそれまで元気に開業医をしていた父が自ら発見した胃がんに突然倒れ、診断からわずか3週間で亡くなってしまいました。
その過程で不思議と長年の父への反発心が氷解し、改めて自分がやりたかったことは、人間の生死と健康の過程に携わる医師という仕事ではないかということに気が付き、医師になることを決意し、翌年2003年4月に群馬大学医学部に学士編入学しました。

【そして友人の死~生と死について考えた医学部時代】

ようやく入った医学部で、たまたま同年代の友人が何人も癌で亡くなったり突然死したりすることが続き、医学を学びながら、人間の生死や健康、そして、限りある生の中で病を治すという医師の仕事の意味について深く悩みました。
その中で、自分自身を癒す必要を感じ、カウンセリングを学んだり、予防医学や代替医療に興味を持つようになり、北里大学東洋医学セミナーや東京女子医大学統合医療セミナーなどに参加して、アロマセラピーや東洋医学などの代替医療を独学したりしていました。

【言葉を治療に~こころとからだ】

卒業後、当時は父と同じ家庭医になるつもりだったので、地元の千葉県立病院群で研修医となり、更に内科レジデントとして残って、千葉県がんセンターなどの専門病院から一般病院まで様々な病院と専門で研修を積みました。
しかし、実際に内科病棟で勤務しているとき、患者さんの社会・家族背景や生活観や考え方や性格が、身体の病気とも深く関連していることに気が付き、また、同時に幼い時からの言葉への興味から、言葉を用いて社会的文化的背景も考慮に入れた全人的医療をしたいと思うようになり、国立国際医療研究センター国府台病院の心療内科レジデントとなりました。

【心の医療へ ~ 学んだ薬物療法の効果、精神療法の可能性】

そして、更に、心の病の診断と治療方法をもっと深く学びたいと思い、2012年に福岡に移住した際に、福間病院の精神科に移りました。
福間病院は、重症の患者さんが殆どで、医師のカウンセリングである精神療法を行うことはかなり難しかったのですが、急性期と慢性期の治療を中心に、薬物療法の有効性について学ぶことができました。
幸運なことに、福間病院では、精神療法の大家である福岡大学名誉教授の西園昌久先生が若手を指導する西園教室があり、西園先生から直接教えを受けることができました。
精神科医として一通りの経験を積んだ頃、かねてからの夢だった、心身相関の視点から患者さんの社会家族背景も考慮に入れた全人的治療を行うクリニックを開業したいと考えるようになり、2015年11月に姪浜駅ビルにて心の全人的医療を目指すあこアロマガーデンクリニックを開業することになりました。

【人間という存在の心を癒す、ということ】

改めて、自分が医師となる前、そして、医師となってからの軌跡を考えると、私自身の言葉と人間という存在と心への尽きせぬ興味が根底にあることに気付かされます。
我ながら心療内科・精神科医になるのに随分と回り道をしたものだなと思いますが、同時に、全ての人生経験が今の患者さんの治療に役に立っているのではないか、とも感じております。
当院では、今までの様々な社会経験や人生経験を生かして、言葉を大切にして、心身相関の視点から、患者さんの社会家族背景も含めた全人的なアプローチを行う治療を行うことで、より効果的にうつや不眠などの心の不調の治療を行っていきたいと思っております。
これからも地域の皆様の心の健康のために、スタッフ一同日々精進しながら尽力していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

              

心療内科 あこアロマガーデンクリニック 院長・庭瀬亜香

 

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